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ハンガリーてくてく日誌2

ブダペストの大学で日本語を教えたり、ハンガリーの絵本を翻訳したりしています。指の間からどんどんこぼれ落ちていってしまうような毎日を、少しでも書き留められたらいいなぁ。


by pitypang2

マストからチャンスへ

当たり前だけど難しいことを書きます。

今日は大学で3コマ授業がありました。
先週はダメな自分を感じていたけど、今日はなんかよかったのです。

例えば、修士課程の日本語授業で、
それぞれ日本語で自分の修論のテーマについて
小さな発表をしてもらった後の会話。
私「みんなすごくいいんだけど、なんかやっぱり日本語の間違いは残ってますねぇ。
  だってまだ4,5年しか勉強していないんだもん、当たり前だよね。」
(みんなうなずく)
私「論文を書く力もつけたいしねぇ。」
(みんなうなずく)
私「うーん・・・どうしよう・・・ ちょっと大変だけど、作文もやりますか?」
学生の一人「・・・でも、先生大変じゃないですか?」
私「いやぁ・・・大変だけど・・・でもみんなが論文の力をつけるためにはねぇ、
  やっぱり誰かが添削するしかないしねぇ。
  みんなの日本語能力が伸びるなら、がんばってやりますよ。」
学生の一人「じゃあやりたいです!」
私「そうですか。2週間に1回?1週間に1回?」
学生たち「1週間に1回!」

・・・という流れ。
理想的ではないですか?
自分から「やりたい、やらせてくれ」って言わせちゃう、これ、すごく大事だと思ってます。
誰かにやらされてやる勉強と、自分がやりたくてやる勉強は、
効果が絶対違うと思うもの。
この流れなら、作文がやっつけ仕事にならないはず。
別に厳格に1週間に1回出さなくてもいいのです。
目的さえはっきりしているなら。
  
そのあと、3年生の授業が2コマありました。

1コマ目では、課題出して、日本人ゲストの方々にグループに入っていただいて、
あとは90分おまかせでした。
どのグループも課題(民話の翻訳)に一生懸命取り組みつつも笑いが絶えなくて
なんかねぇ、教師として立っているのが本当に寂しく思うくらい(笑)
翻訳は、宿題だったらつらいけど、グループでやるのは楽しいですよね。

2コマ目は、もう2008年からずっとやっている、
各自自分の読みたい本を読むという授業。
これも最初の小テストの後はおまかせで、
みんなひたすら本を読んでいます。
漱石だったり、それぞれいろんな分野の論文だったり。
最後の10分だけ、3,4人のグループに分かれて
お互いに読んだものを話してもらうことになっているのですが、
これまた、どのグループも本当に楽しそうで、
聞き耳立てるとちゃんと読んだ本の話をしていて、
「時間だから終わりですー」って言っても終われないグループがちらほら。
漱石読むのも論文読むのも大変だけど、
内容をほかの学生たちに話して聞かせ、感想を聞くのは楽しいですよね。

というわけで今日は3コマうまくいった感があったのです。

昔、大学で働き始めた頃、「とにかく厳しくやってください」と上司に言われて
とにかく厳しくやっていました。
今はなんかちょっと違うと思っています。
当たり前だと思うけど、厳しい先生に「やらされた」ことと、
自分で「やりたいからやった」ことでは、
同じことをやっても成果が全然違うんです。
なので、教師の役割って、今の私の意見では、
「やらせる」ことではなくて、
「やりたいと思わせる方向に持っていく」ことです。

コツは催眠術的な、裏を持ったテクニックではない、と今の私は思っています。
大事なのは、「私の目的とあなたたちの目的は同じだ」という考え方じゃないでしょうか。
私は、学生たちに日本語が上手になってほしい。
学生たちは、いろいろなことにうんざりしている場合もあるけど、
そもそも日本語が上手になりたいから日本学科に入ってきたはず。
同じラインに立って、どこをどうしたらいいのか一緒に考えながら進むのが
たぶん理想的だと思うのです。
私が例えば「逆上がりをやれ」「微分積分をやれ」と言われたら
それは反発しながらいやいややるはずですが、
日本語の授業に来ている人たちは日本語がやりたいはずなのです。
なのにやる気がないなら、それはやっぱり何かコーディネートに問題があるはずなのです。

で、最近の私は、学生に何かがうまくいかないのは
基本的には教師(私)のせいだと思うようにしています。
「学生が勉強してくれない」とただ不満を言いたくなるような状況を、
学生が勉強したがる方向に持っていくのが教師なのだと思うようにしています。
実際にはどうにもならないこともあるのでしょうけど、
教師って(というか少なくとも前の私は)
「教師のせいじゃない、学生が不真面目だから悪いのだ」というふうに
割り切ってしまう場合が多すぎると思うのです。

イメージとしては、自転車に乗れるようになりたい子どもがいて、
私も子どもに自転車に乗れるようになってほしくて、
一緒に試行錯誤する感じ。
ちゃんと走り出すまでは、後ろを支えてあげます。
そして、「母ちゃん、もう一人で楽しく走れるから離して!邪魔!」
という状態になった時に離したい。
「自転車に乗れるようになりなさい」って親が言って
「支えているよ」と言いながら手を離して子供を転ばせて痛い思いをさせたり、
自転車だけ与えて「一人で乗れるようになりなさい」というのは
やっぱり長く自転車を楽しんでもらいたいなら
うまくはいかないんじゃないかと思うんです。

「何かをしなければならない」というプレッシャーを
「何かをさせてもらえる」というお得感に変えること、
難しいけどやっぱそこがうまい教師というのが今の私には目標です。

と、今日はいい感じだったので
いい気分で思ってることを書きとめましたが、
うまくいかなかったときにこれ見たらつらいだろうな(笑)
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by pitypang2 | 2016-02-23 04:18 | 日本語教師のこと | Comments(0)