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ハンガリーてくてく日誌2

ブダペストの大学で日本語を教えたり、ハンガリーの絵本を翻訳したりしています。指の間からどんどんこぼれ落ちていってしまうような毎日を、少しでも書き留められたらいいなぁ。


by pitypang2
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精進、精進。

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私は占いや迷信を信じない方だけど、
「現在のあなたの運勢は悪い」と言われたら
今なら信じてしまう気がする。
それくらい、今年の私はなんだか大変です。
浮き沈みが激しく、気持ちが安定しません。

理由は、なんかまぁ、いろいろ、小さなことです。
具体的な出来事によるものというよりは、
慢性的かつ根本的な自信のなさによるものだと思います。
今年に入ってから、嬉しいこともいろいろあったのですが、
がっかりしたこともいろいろあって、
とにかくその浮き沈みに疲弊している気がします。
愛読書の一つ”ビリギャル”にも
「一喜一憂しないこと」というのは
大切なこととして書いてあったんだけどな。

昨日は、とても嬉しい思いをしました。
もともと日本人ゲストをお呼びしていた2年生の発表会と、
その後の修士課程の普通の授業に、
ある先生が訪問してくださって、
その時、自分でも何か
「まさに人様に見てもらいたいと思っていたものを見せることができた」
という感触があったのです。
授業中も、うちに帰ってからも、
安心したような誇らしいような気持ちは続いていたのですが、
その先生が以下の記録を書いてSNSに載せてくださったので、
その感触はより確固としたものになり、
私はつい泣いてしまいました。


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 1635年創立のエトヴェシュ・ロラーンド大学(ELTE)を訪問した。
 1986年に人文学部の日本学科が独立し、2016年には開設30周年記念の会が開催されており、これまでに269名の卒業生を輩出している。
 ELTEでは伝統校の名に相応しい教育が実施されている。ヨーロッパの大学に共通する課題ではあるが、大学の言わば標準化を目指すボローニャ体制への移行により、同学も2009年以降は毎年36名の卒業生を送り出すことになってはいるものの、少数精鋭の教育理念は堅固に受け継がれており、文献学を中心としたディシプリンと日本語運用力の強化という非常に困難なバランスの上に学科運営が行なわれている。
 そして、驚くべきことは学生のレベルの高さである。わずか週3コマの日本語の授業で大学1年次に初級レベルを終わらせ、2年次にはほぼナチュラルスピードの日本語で授業が行なわれる。3年次には卒業論文(ハンガリー語に日本語の要約を付す)を執筆するために、2年次の後半には、各自のテーマについて日本語で発表しなければならない。わずか1年半の日本語学習で、西田哲学、対馬の歴史、芸者の実像、冷戦時の諜報活動、漢字の六書、等々についてPPTを使いながら流暢な日本語で発表できる学生を、30年近い日本語教師のこれまでの経験では見たことがない。
 さらに、今回見学した修士レベルの授業では、三島文学と妖怪学についてそれぞれ20分ほどの発表が行なわれ、その場で手を挙げた学生4名によって発表の内容に関するパネル・ディスカッションが繰り広げられていた。そこでは、思わず身を乗り出してしまうほど、知的なやりとりが行なわれるのである。日本に関する知識とそれぞれの分野のディシプリンをしっかりと身につけた上で、学術的な日本語を駆使することができている。
 日本語教育界は、オーディオリンガル→コミュニカティブ→課題遂行、というように変遷を遂げ、国際交流基金としてはJF日本語教育スタンダードの普及が大きなミッションとはなっているが、こうした文献学を重視した教育体制で畏るべき知的エリートの知日家が育成されているという点は大いに注視しなければならないであろう。
 中東欧の日本語教育は、数だけでは計り知れない。異常なほどの質の高さを、今後も声高に発信し続けていきたい。


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これが何でそんなに嬉しかったかって、
こういう授業こそが今の自分の
研究(←この言葉は大きい声で言うのはどうしても気恥ずかしい)テーマだからです。
さらに、このテーマについて、
例えばシンポジウムで発表して
「いいですね」って言っていただいたことや、
例えば日本の大学から留学の面接にいらした先生方に
「そういう授業をやってる成果が出てるじゃん」と言っていただいたことは
今までもあったのですが、
実際に授業を見て褒めていただいたのは
これが初めてだったからです。
さらには、この先生は
日本・中国・韓国など日本語教育がとても強い国々で
日本語教育に携わっていらっしゃった先生で、
そんな先生におほめいただいたということは
うちの学生はきっと十分国際的に通じるレベルなんだと思えたからです。
あともう一つ(しつこいな)、
私は自分の研究テーマについて
「時代の流れを無視している」という不安が多少あったのですが、
最後から二番目の段落にとても安心しました。



授業について。
私自身は、こういっては何ですが、人並み外れて無知です。
西田哲学も、対馬の歴史も、芸者の実像も、冷戦時の諜報活動も、漢字の六書も、
教えるどころか、学生に教わる一方です。

でも、一応こうして11年間、この大学でよりよい授業を目指してきた中で
最近は心掛けていることが二つあります。

一つは、「本気で質問すること」。
「日本人なのに(しかも先生なのに)知らないなんて恥ずかしい」と思ったらもう
こういう授業は成り立たないので、
「教師として、答えを知っている状態でする質問」じゃなくて
「本当に答えを知りたい質問」をどんどんするようにしています。
私は日本語を教え、内容はみんなに教わるというイメージです。
互いを尊重し、対等な関係でありたいと思っています。
(…と言えば格好いいけど、単に恥を捨てたということです・笑)
私やほかの学生から質問をもらうことで、
気づかなかった視点に気づくことも多いようです。

もう一つは、「学生たちの能力と知的活動の幅を狭めないこと」。
なので、できるだけ「枠」を作らず、
自由な活動をしてもらうようにしています。
(これは私に対して「枠」を作らないでいてくれた
うちの親の影響を受けているのかも。)
その中で、お互いに成果を見せあうことによって、
方法や見せ方などに関して気づきが得られ、
私の指示によるものではなく、自発的に、メタ認知的に、
より良い方向へ進んでいけるようにサポートしたいと思っています。
また、ゴールを一般的な基準より少しだけ遠めのところに置くことで、
「ここまで出来ればいい」という天井を作ってしまわないようにしています。
(それによって恨まれてもいると思いますが。汗)


うぉ~、勢いでえらそうなこと書いたわぁ~

たぶん、またすぐ何かで、迷ったり自信を失ったりすると思います。笑
でも、一喜一憂しすぎず、周りの声も気にしすぎず、
地に足つけて、一歩一歩、進んでいきたいものです。







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by pitypang2 | 2017-05-10 20:16 | 日本語教師のこと | Comments(0)