東北
2012年 09月 12日
知人は震災以来これが13回目のボランティア活動。
今回は25日が移動日、26日が南三陸町でボランティア活動という日程で、
27日は周辺の地域にも車で連れて行ってもらいました。
泊まった所はさんさん館。
古い木造の校舎を改装した、とてもすてきな宿泊施設です。
部屋の名前も「六年一組」や「三年二組」などになっています。
部屋の中はホテルみたいにきれい!
写真は洋室ですが、和室もあります。
椅子なんかは学校のだったりして楽しい ^^
その日は知人が南三陸町の中を車で回ってくれました。
高台にある高校の横(敷地内?)に仮設住宅が並んでいます。
知人が2011年4月にボランティア活動に行ったときの写真です。
今は瓦礫はかなり片付いています。
荒野のよう、と言ったらいいでしょうか。
建物の土台だけが残り、雑草が生い茂っています。
ここまで片づけた自衛隊・ボランティア・地元の方々に脱帽の念も抱きますし、
住んでいた町をこうもごっそりと持っていかれる気持ちを想像すると戦慄を覚えます。
船が打ち上げられています。海はそんなに近くないのですが。
駅舎はまだこんな状態でした。
駅のホームです。
防災対策庁舎。殉職した24歳の女性がいた建物です。
南三陸町の住民約1万7700人のうち、半数以上が避難して命拾いしたそうですが、
そのとき、津波が来るまで防災無線のマイクに向かって
30分ほど必死に避難を呼びかけていたという方です。
「6mの津波が予想されます」「異常な潮の引き方です」という放送だったそうです。
それを知りながら、逃げなかったのです。
(『東日本大震災 心をつなぐニュース』文藝春秋 56~58ページ参照)
人の命を救うために、自分の命を投げ出せるでしょうか?
いざというとき、私はそんなに強いでしょうか?
いろいろ考えてしまいます。
そして、こんな状態になってしまっても、
私はちゃんと自分に対して「ふんばれ」と思えるでしょうか?
海辺では地盤沈下の様子がはっきり見えます。
海辺の建物、3階までぼろぼろです。
小学校も。
潮水につかった木はこんな風に枯れてしまうそうです。
でも、もう仮設のコンビニもできて、地元の方々にはもちろんのことと思いますが、
ボランティア活動をする人たちにもずいぶん便利になったようです。
震災直後は、滞在日数分の食料を持ってこなければならなかったそうですので。
私たちはコンビニにかなりお世話になりました。
復興名店街という地元の方運営の商店街もあったのですが、
その日はもう行ったのが遅くて、終わってしまっていました。
痛い目にあわされても「海の恵み」と言い切れる東北の人たちって本当に素敵だと思う。
(となりの「タコぷりん」も気になる)
今年3月に行われたスピコンでは2011年のLight Up Nipponの
企画・運営に関するビデオを流したのですが、今年も行われたのですね。
ずっと続くのかな。いつかは見に行ってみたいです。
東北第一日目のご報告でした。
また書きます。