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ハンガリーてくてく日誌2

ブダペストの大学で日本語を教えたり、ハンガリーの絵本を翻訳したりしています。指の間からどんどんこぼれ落ちていってしまうような毎日を、少しでも書き留められたらいいなぁ。


by pitypang2
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教師は寂しい。

そもそもモノを教える職業には、一種のものがなしさがつきまとう。

生徒たちにとって学校は何かを教わる場所なので、
あたらしい経験ができなくなればもうその場所に用はないのだ。

生徒たちは初めての経験をおえて次々といれかわっていき、
教師だけがおなじ場所にとどまりつづける。
さびしくなったりしないのだろうか。

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昨日から3日間、ティハニという町の宿泊施設で
大学の合宿が行われています。
私はもともと初日だけ参加する予定でした。
ひとりで帰る間、電車の中で、堺雅人さんのエッセイを読んでいました。

あんまりにも、そのときの気持ちとシンクロしていたので、
つい引用してしまった。
こんなにお別れが苦手な人間がどうして教師なんかになったんだろう、
というのは時々思うことです。

そしてお別れのときだけじゃなくて、
わりといつも寂しいものです。

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いま教師役をやっていてついついそんなことを考えてしまうのだろう。
映画『ハチミツとクローバー』は美術大学の学生五人が主人公だ。
彼らはいつも仲がよく、撮影していないときでもみんなでワイワイと楽しそうだ。
学生役の五人のうち、加瀬亮さんや伊勢谷友介さんは僕と年齢もあまりかわらない。
けれども彼らのおしゃべりに僕はなんとなく参加しづらく、結局すこし離れたところから眺めていることがおおい。
ひとりひとりには距離をそれほど感じないけれど(しつこいようだが年齢はちかいのである)、五人そろうとダメなのだ。
教師役の僕は、五人の輪にはくわわれない。
学校の先生たちも、放課後たのしそうに談笑している生徒たちをみてこんな気分になるものだろうか。

映画のなかで五人はよく取りみだす。要領がわるく、いびつで、ムラがあり、おちつかなくて、矛盾している。おたがいの凸凹を五人が寄りそうことでなんとか埋めあわせようとしているみたいだ。
こんな微妙な輪のなかに大人がヅカヅカとはいっていけるわけがない。
日本語クラスに外国人のふりをして出席しているようなもので、なんというかそれはとてもずるいことなのだ。
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私は昔から、学生たちと気軽に飲み食いや遊びに行けるような先生に、
決定的にあこがれているように思います。
あこがれて、やってみて、でもやっぱり完全には馴染めない感じがして、ますますあこがれて。
でも、これを読んで、その距離や違和感は別に間違ったことじゃないのか、という気もしました。
だいたい最後の一文とか、堺雅人さんは例えとして書いていることだけど
私は本当にそんなような状況だし(笑)

ティハニ、楽しかったんだけど、やっぱり寂しかった。
(初日で帰ったりするから、なおのことです)

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もう卒業して、外国での就職が決まっている学生が、
帰りにバス停まで送ってくれました。
そこで別れたらもう会えないかもしれないということも知っていたし、
就職先も、めでたく日本関係ではありますが
「そんなとこ大丈夫なの??」と思わないでもないところなので、
私はたぶんちょっとだけ、
息子を里から送り出す母親のような気持ちだったと思います。
雪の中、二人でバスを待つ五分間の、寂しいこと。
ハンガリー語は丁寧な話し方と友達の話し方がはっきり分かれていて、
私はバスに乗り込む直前、
「もう卒業したんだから、友達の話し方で話そうよ」と言いました。
「いやいや、先生に向かって、そんなことできません」と言われ
またちょっと寂しい気持ちになりました。

バスに乗り込んで少したつと、携帯のメール着信音。
友達の話し方で
「Szia! Ha megérkezel Budapestre kérlek küldj majd egy sms-t.
(ブダペストに着いたらメールしてね)」
と書いてありました。

寂しい、寂しい。教師の仕事は寂しい。
でも私はこれからもずっと、別れを覚悟しながらたくさんの学生と出会い、
距離や違和感を覚悟しながらも、近づこうとするのでしょう。
時にあきらめ、傍観し、
時に心の琴線に触れるような出来事を共有しながら。
だってティハニもやっぱり楽しかったから。
そして私は、いられる限り、ここにいるのです。
みんながもし帰りたくなったら、いつでも「里帰り」できるように。
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Commented by どれみふぁ屋 at 2014-02-04 06:43 x
また堺さんにハマっとるようだね。それにしても、このエッセイの「日本語のクラスに外国人のふりをして・・・」の下り、どうしてこんな例えになるのか興味をそそられた。そしてそう言われてみれば教師の仕事はさびしいのかもしれないが、自分的にはそれはもはや当たり前すぎることになっている。しかし、最近は10何年も前から音信不通になっていた昔教えた生徒からFBを通じて急に連絡をもらったりしてだねー・・・、前から思っていたが、この仕事はそういううれしい結果がずいぶん遅れてついてきたりするんだよ。
Commented by pitypang2 at 2014-02-05 21:48
堺さんのエッセイも大好きです!
「寂しい」ってネガティブに受け取れる言葉で書きましたけど、それは学生のことが好きだからこそ思うことであって、「寂しい、もっと近づきたい」と思える相手がいてよかったな、と思ったりもします。決して決して「教師の仕事はよくない」っていうことじゃないです。(堺さんもそういうつもりで書いたんじゃないと思います。)きっと、子の成長を見守る親のような、成長した娘との距離感がつかめない父親のような、寂しさかと。あと、私は野球部のマネージャーをしていた時もそうでしたが、「いいなぁ、楽しそうだなぁ、素敵な人たちだなぁ」と思いながら端っこの方で傍観するのが結構好きなんですよね ^^; 
昔の教え子からの連絡はほんと、嬉しいですよね。私も昔の先生とかに連絡しようかな・・・
by pitypang2 | 2014-02-02 06:03 | 日本語教師のこと | Comments(2)